1970〜
「心」を「一つ」に乗り越えた開拓期


昭和45(1970)年4月1日、一心生産組合は設立されました。
それは、初代代表の村上國男による、農家を守るための大きな決断でした。

大きな転機となったのが、昭和41年に着工された日新ダムの建設。
大正15(1926)年に起きた十勝岳大噴火により、付近の川が農業用水に適さなくなり、その対策としてダム建設が計画されました。

しかし、その建設予定地は私たちが住む集落。

当時、60戸以上いた農家は、日新ダム建設に伴う離農と土地の買収により、半数にまで減りました。

農家を守るためのダム建設と、それによる集落の崩壊。
そんな葛藤の末、國男は集落の住民を集めて次のように語りました。

「一つの目的の為に、手を取り合って励ましあい、

自己に自信を持ち、私欲を捨てて、

共存共栄を図るために共同経営を始める」

こうして、農事組合法人 一心生産組合は誕生しました。

 


1982〜
突然の世代交代と有機農法との出会い


設立から12年が経ち、経営は次第に軌道にのっていきました。
後継者にも恵まれ、何事も順調に見えていた、そんな或る日。

國夫が病に倒れます。
仕事をしている最中の、本当に突然の出来事でした。

長期入院を余議なくされ、経営は息子である村上武憲に引き継がれました。

こうして、新しく出発した一心生産組合。
しかし、武憲は従来の農業のやり方に限界を感じていました。
「従来の方法以外に何か…」と模索し続ける中、取引先を通じて一つの出会いに恵まれます。

この先、長い間お世話になる 『島本微生物農法』の指導者、小久保秀夫先生でした。
有機農法が今ほど世に知られていなかった時代に野菜を土から見直し、土作りを何よりも大切にする画期的な農法に武憲は衝撃を受けました。

それまで農薬を使った慣行農法一本だった一心生産組合は、自家製の堆肥を作り、微生物農法の特色と言われる土こうじを作り始めます。

試行錯誤を繰り返し、たくさんの失敗を重ねて少しずつ作り上げていきました。

 


1998〜
有機栽培への転換と有機JAS取得


平成10(1998)年より、一心生産組合は本格的に有機栽培を始めました。
しかし、有機栽培への挑戦は簡単な道のりではありませんでした。

農薬を使わないことによる害虫被害。
有機野菜を取り扱ってくれる新しい販路の開拓。
慣行栽培を行う農家仲間との関係悪化。

数多くの問題に直面する中、心の支えとなったのは島本微生物農法を共に学び、有機栽培に挑戦する北海道各地の仲間たちでした。
現在まで毎年欠かすことなく島本微生物農法の勉強会を開催し、師である小久保先生にも毎年ほ場視察に来ていただき、一つ一つ問題を克服していきました。

そして、平成21(2009)年、一心生産組合は「有機JAS」認定事業者として、農林水産省登録認定機関から認可を受けるまでになりました。

 


2009〜現在
三代目承継と「大雪を囲む会」の設立


平成21(2009)年、一心生産組合の経営は現代表の村上多麻夫へと受け継がれました。
また、平成22(2010)年には島本微生物農法を学ぶ各地の仲間と共に「株式会社 大切を囲む会」を設立し、多麻夫は同社役員に就任しました。

「生産者が手を組み、農作物の生産量を確保することで、
安全でおいしい有機農産物を社会にもっと広めていきたい。」

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理念を同じくする心強い仲間たちと、

現在〜未来
次世代の農業を支えていく第三創業期


農家が団結して危機を乗り越えた、”第一創業期”。
有機農法への転換を決意した、”第二創業期”。
そして、これから新たなステージ”第三創業期”を迎えます。

IoTの急速な発展、輸入農産物の関税撤廃、国内人口の減少・地方の過疎化など、農業を取り巻く環境は日々劇的に変化していっています。
全ての農家が変革を求められているといっても過言ではありません。

一心生産組合も、これまでの既成概念にとらわえれずに、新しい農業に挑戦していきます。

何よりも大切なのは、先祖代々受け継いできた大地を、息子へ、孫へ、その次の世代まで受け継いでいくこと。
それが、私たちの農家の使命です。

しかし、環境は変われど、私たちの価値観は変わりません。

私たちは「心」を「一つ」にして、
これからも安心・安全な農畜産物を作り続けていきます。